BIG ME club | 内藤景代が毎日更新する 日誌風エッセイ 最新情報 |
内藤景代 記 |
2002年9月6日(金) ●『源氏物語』の「帚木(ははきぎ)」と、 今、園芸店で売っている、 トンブリの実がなる「帚木=ほうきぐさ」は、ちがっていた |
「帚木(ははきぎ)」の木も、また、 今、園芸店で売っている、「帚木」と、 約1000年前の昔(むかし)の『源氏物語』に出てくる「帚木」は、 ちがっていました……。 ◎昔の『源氏物語』に出てくる「夕顔の花」と、 今、園芸店で売っている「夕顔の花」は、 「ちがう」ことが多い……ということを、 今年の夏は、トライ&エラ−&フィ−ドバックで、 「生きた現実」から「学習」しました。 ●それで、今回は、逆に、エッセイにかく前に、 「確認」のために、『源氏物語』に出てくる「帚木」を調べてみました。 今、園芸店で売っている、「帚木」の写真は、 8月31日の写真のほかにも、 たくさん、あちこちで、とりためてあり、 そのことで、かく内容も決まっていたのですが…… 「念のために」確認して…よかったです。 ●結論からいうと、 『源氏物語』の「帚木(ははきぎ)の巻」に出てくる、 「帚木」は、長野県(文学者の田中知事が再選しましたが…) に残る《伝説的な「ひのき」の「木」》です。 ●そして、今、園芸店で売っている、「帚木」は、 「帚木=ほうきぐさ」で、「草」です。 下の写真です↓。 夏に黄緑の葉をふわりと広げ、 秋には、赤く燃えるようになります。 「言葉」は「同じ名前」の「帚木」ですが、 「木」と「草」で、まるで、ちがいます。 ――わたしも、びっくりしました。調べてみて…… ●今、東京は、雨です。朝からずっと、雨です。 昔、五月雨(さみだれ)の続く、 五月のこんな「雨の夜」に、 17才の光源氏(ひかるげんじ)をはじめとする 若い男たちが、集まって、 「女性についての男性達の好みと評価の、おしゃべり」 をした話が、「雨夜の品定め(あまよのしなさだめ)」で、 『源氏物語』の「帚木(ははきぎ)の巻」の中心になる物語です。 ●たくさんの女性の品評会(ひんぴょうかい)のようですが、 「夕顔の話」も関連して出てきます。 ――それで、《「帚木=ほうきぐさ」という、「草」←》を、 紫式部(むらさきしきぶ)は知っていて、 あのたくさんの小さな粒々(つぶつぶ)の 「とんぶり」の実(み)をイメ−ジしながら、 『源氏物語』の「帚木(ははきぎ)の巻」をかいたのかな〜と、 想像したりしていました…… ●――まったくの誤解でした。 「同じ」言葉でも、まるで、イメ−ジがちがいます。 「言葉」だけに、囚われ(とらわれ)ると、大変なことになりますね。 ――著者の紫式部の意図は、 伝わらなくなってしまう… 「文学」という「芸術(ア−ト)」を、 「鑑賞(かんしょう)」するには、 いろいろな世界についてのイメ−ジが必要なのですね。 ●さて、『源氏物語』に出てくる「帚木」は ――1000年前の――その当時で、すでに伝説になっていた、 「信濃の国(しなののくに=今の長野県)」にもうたわれている、 下伊那郡の阿智村にある「園原」の里の「ひのき」の「木」です。 ●万葉時代の昔より、 都から東北へ抜ける「東山道」の最大の難所の「神坂峠」を越えて、 はじめての人里(ひとざと)だった、 「園原」の里には、 《「帚木」とよばれる「帚(ほうき)」を逆さに立てたような 「ひのき」の「木」》があり、 次のような伝説が旅人から伝えられ、有名だったそうです。 《「帚木」は、遠くからだと見えるのに、近づくと見えなくなる。》 ……たぶん、曲がりくねった山道を歩く旅人の目から、 消えたり…現れたり…して、見えたのではないでょうか。 ●この「伝説の木」の話をふまえて、 自分たちを「見立て(メタファ−)」て、 光源氏と空蝉(うつせみ)という女性(人妻)が、 歌でコミュニケ−ションをとりかわしました。 それが、この「帚木(ははきぎ)の巻」の 名前の由来(ゆらい)になっています。 ● 「帚木の心を知らで 園原の 道にあやなく 惑ひぬるかな」 光源氏 (遠くからは見えるけれど近づくと姿を消してしまうという、 伝説の園原の帚木のような、 人妻のあなたを尋ねて、 とうとう(ひとの)道に迷ってしまいましたよ) 「数ならぬ伏屋に生ふる 名の憂さに あるにもあらず 消ゆる 帚木」 空蝉 (数ならぬ身の私は、伏屋に生える 帚木の名を恥じて、 いるにもいたたまれず 消えてしまいたいのです) ●伊予の介(いよのすけ)の妻であった 「空蝉」の和歌の方は、「帚木」を ――伝説の帚木という木だけでなく―― 「ほうき草」すなわち、「草箒(くさぼうき)」をつくる「帚木」にも、 引っかけてあるように感じますが…… (古くから、「ほうき草(帚木)」は、中国から日本へ伝わっている、 一年草だといいますので……) ……わたし(空蝉)は、 そんな「立派な、伝説の帚木という木」ではなくて、 お掃除用具をつくる、卑しい帚木の方ですよ ……そんな感じもしますが…… そして、結局、光源氏をふってしまう ……だから、光源氏のこころに残る、忘れられないひとになる…… ●――よくわかりませんが、 なぜか、きょうは、こういう展開になりました。 なにか、ここで、今、園芸店で売っている、 「帚木」の「季節による変化の写真」と、 その実の「トンブリ」と調理法……などは、 入れにくい雰囲気になってしまいました。 それで、その写真は、また、明日にしましょう。 、 |
←★前へ | 次へ★→ |