2002年9月30日(月) ●青いミカン、青いレモン、青いクルミ。 ●われは、むかしの、われ、ならず。 (今の)私は、(昔の)私では、ない。(私 ≠ 私) ● 「青い時代」をすぎて、 「実りの秋」は、「青い果実」たちが、変身する季節。 ●アイデンティティ |
きょうは、下弦。 きのう、たまちゃんが、帷子(かたびら)川へもどってきました。 今、NAYヨガスク−ルの生徒さんに「1ペ−ジづつプレゼント」して構成する「猫の集会」の「10月号」を編集中で、明日、アップします。 ●「猫の集会」で連載中の『海から生まれた 青い人』は、 ――海から生まれて彷徨って(さまよって)いる若い牡の ――たまちゃんと呼応するイメ−ジもある、 「青い人」のメタファ−(暗喩・隠喩)にみちた「読む絵本」です。 ●わたし達・人間の「若い時季」に使われる、 「青臭い」時代、まだ「青い」……という言葉は、 植物の「青い果実(かじつ)」の事実から、 「見立て」られたのでしょう。 青果市場(せいかいちば)、 青物(あおもの)など、日本では、 青と緑が、いっしょに使われるので、 緑黄野菜や緑の果実も「青」と表現します。 ↑●青いミカン 緑色で、まだ、橙(だいだい)色になっていません。 ミカンの「青い時代」です。 ↑●青いレモン まだ、緑色です。黄色くなっていません。 レモンの「青い時代」です。 ●『海から生まれた 青い人』は、 18才の時から10年以上、NAYヨガスク−ルの生徒さんである kazuyuki さんが、 以前かいた習作で、 レポ−ト代わりに提出してくれたものです。 ほかの「青い人」にも、響きあうものがある …と感じて、連載にしました。 本人は、むかしの作品なので、 「何をいいたいのか、わからない…」 部分もあるそうです。 読者の方にも、そう感じる方は多いかもしれません……。 ●そういえば、「猫の集会」で、自作の歌を演奏している singo さんも 「10年前の作品で、何をいいたいのか、わからない …歌詞もある………恥ずかしい」 とおっしゃっていました。 ●ある時期の 「切実な、感情をともなった、わいてくる言葉」は、 自分の状況や人生の季節が変わると、 自分でも「ひと(他人)の言葉」のように、 「何をいいたいのか、わからない…」 ようになってしまうことがあるようです…… 「わたし」という存在は、たくさんあり、 それらがすべて、 「今・ここ」の「わたし共和国」をつくっているからです。 ↑●クルミ(胡桃)の青い果実 ●青い果実が熟れた、 クルミの茶色の堅果↓ ↑●クルミの青い果実は、 熟れると、茶色になります。↑ リスや人間にとって食べ頃です。 ●我(われ =茶色のクルミ、橙のミカン・黄色のレモン)は、 むかしの我(青い果実 =青いクルミ、青いレモン、青いミカン)ならず。 「実りの秋」は、 「青い果実」たちが、変身する季節です。 ●そして、ひともまた…… われは、むかしの、われ、ならず。 (今の)私は、(昔の)私では、ない。 私 ≠ 私 (↑↑7月22日の、アイデンティティ 「自同律の不快」を参照) ※→そのあたりのことは、以下をどうぞ。 『わたし探し・精神世界入門』を。 『聖なるチカラと形・ヤントラ』 84p 「なぜ、アイデンティティが、ないのか?」を。 ●『海から生まれた 青い人』は、あと2回で、お終いです。 いよいよクライマックスです。 愛読者の方には、申し訳ありませんが、来月は「休載」します。 ――といいますのも、kazuyuki さんが、 「ぼくの小さな畑」で、つくった「マクワウリ」や「ヘチマ」や「オクラの花」や「蕎麦(そば)の花」のデジカメ写真を送ってくれたので、 急遽(きゅうきょ)、その写真をのせることにしたからです。 季節感の問題もありますし、 わたしのこの「エッセイ風日誌」と響きあう、写真もありますから。「今・ここ」の「新鮮な感動」が大切…と判断したからです。 12月に、これらの写真をのせると、 「気」が抜けて、間(ま)が抜けてしまうので…。ご了承を。 |
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