BIG ME club | 内藤景代(NAYヨガスクール主宰)が毎日更新する 日誌風エッセイ 最新情報 ![]() |
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2002年7月14日(日) ☆「民主主義の原点」、パリ祭。 ☆三色旗、自由、平等、博愛。 ☆個人(ME)と社会(BIG)の対立を、 フランス革命をヨコ軸として考えた、わたしの卒論。 ☆ルソ−で高名な平岡 昇先生と、 サド裁判の澁澤龍彦さんのお二人が、 わたしの早稲田大学の卒業論文の先生の理由(わけ) ☆1960年代 |
1789年7月14日は、フランス革命の記念日。 ●この日、パリの市民たちが、バスティーユ監獄を襲撃し、陥落させ、革命の火ぶたが切られました。 ●今のわたしたちにとって、当たり前の空気のような「民主主義」。 そこへいたるまでの血塗られた試行錯誤が始まります…。 ●当時の当たり前は、 神から与えられた王権(王権神授説)をもつ、 王様が支配することが、常識でした。 それを、逆転させる。 ▲→▼ 王制から民主制へ 革命…への道の 始まりです。 ![]() ●7月14日の翌日、 7月15日に、 ←この三色旗がフランス国旗として制定されました。 王とパリ市民が 前日に決裂したのを修復させるために、 王家の白に、 パリ市の青と赤を加えてあります。 ●また、この3色は 「自由、平等、博愛」というフランス革命の理念もあらわしています。 ●さて、日本では、7月14日は、「パリ祭」とよばれます。 そしてシャンソンを大いに歌う日…になったのは、 ルネ・クレール監督の1932年の映画 「7月14日」が、 その当時の日本では、意味がわからないので 『巴里祭(ぱりさい)』と訳されたからだそうです。 ※「7月14日」すなわち Le Quatorze Juillet(キャトーズ ジュイエ) フランス革命記念日 ●フランス革命は、 わたしが仏文(ふつぶん=仏蘭西文学)の学生時代の、 卒業論文のテ−マのひとつです。 もうひとつは、バスティーユ監獄に入れられていた 貴族―侯爵サドです。 (『新版こんにちわ 私のヨガ』158p 「私のヨガ使用前と使用後」と 『新版冥想 こころを旅する本 マインド・トリップ』224p のあとがきで、すこしふれています) ●『サド侯爵とフランス革命―個人と社会』が、 わたしの卒論のテ−マです。 個人と社会。 その頃から個人(ME)と社会(BIG)の対立を感じ、 いかに一次元・上でより大きな形にするか …そんなことを冥想し続けてきたようです。 そしてヨガを生活にとりいれていたら、 BIG MEの概念が育っていきました… ![]() http://www.nay.jp/akiyo-yoga-class/aki-yoga-what.htm ●学園闘争や 全共闘(ぜんきょうとう=全学共闘会議)の ストライキなどのあった 1960年代後半の 早稲田大学では、 「サド侯爵を卒論にしたい」…といっても、 それを指導する先生がいませんでした …「サドの卒論なんて、早稲田はじまって以来なんだから …困るよ。テ−マはいいんだけれど…」と教授… ●そして、結局、フランス革命には 第一人者のルソ−の翻訳で高名な平岡 昇先生が、 わたしの担当教授になってくださいました。 お顔は、甥御(おいご)さんの安岡章太郎さんが、 年をとるにつれそっくりになっていかれ、懐かしく感じています。 さて、平岡 昇先生にお会いすると、 開口一番(かいこういちばん) 「僕は、サドはわからないよ。 その代わり、僕の東大時代の教え子の 澁澤龍彦君を紹介するから、 サドは彼に相談しなさい」 「…はい。……わたしは、ルソ−は読んだことがないのですが、 『エミ−ル』とか読まなければ、ならないのでしょうか?」 すると、平岡 昇先生は 「あんなもんは、読む必要はありません。」 「…(あんなもん! ) はい。」 「ルソ−で読むなら『人間不平等起源論』を読みなさい。 あれこそ、フランス革命の原点になったものです。 ルソ−は、善人の見本みたいにいわれるが、そんなことは、ない。 彼こそ、人間の「悪」の根源を見つめ続けた人間です。」 「…はい。」 ![]() ●…そんなわけで、わたしの卒論は、 二人の担当の先生に見ていただくことになりました。 今は、「オタクの憧れ」といわれ 静かなブ−ムの澁澤龍彦さん ――彼が、もう一人の、 わたしの卒論の担当の先生です。 澁澤さんも、 平岡先生からはじめて電話があったときは、 話が分からず 「てっきり友だちの平岡正明(評論家)だとおもってさ、 ぞんざいな口をきいて、いいよ、なんていっていたら どうもヘンで、平岡 昇先生だとわかって、驚いたよ。」 と、あのパイプでしゃがれたかすれ声で笑っていました。 そして毎月のように澁澤さんの自宅の北鎌倉まで、通って、 個人ゼミのように薫陶をうけました。 その頃、『血と薔薇』という雑誌の責任編集をなさっていたので おいそがしそうでしたが、ゼミが終わる頃は、毎回、酒盛りで 「芥川龍之介なんて才能ないよ。 いながきたるほ(稲垣足穂) 読みなさい。彼はいいよ」など、 歯切れのいい陽気で面白いお話を沢山聞きました。 そのうち、また、書きましょう。 ●わたしが通っていた頃は、 澁澤さんは、離婚なさったばかりで、 和服をきりっと着こなした母上と スペイン風の吹き抜けのあるおうちで、 ドラキュラ的な昼夜逆転の 午後2:00起床の暮らしをなっさっていました。 その離婚なさった前の奥様が、矢川澄子さんで、 ファンタジ−や妖精や少女アリスの世界を書いて、 夢をみんなにあたえてらした…。 猫の話ポ−ル・ギャリコの『ジェニ−』の訳は澄んでいて胸にしみます。 NAYヨガスク−ルの貸し出し図書のひとつです。 なぜか、その矢川澄子さんが、今年の5月29日に黒姫山のご自宅で、 自殺なさいました…71才。ご冥福を祈ります。合掌 ※後記: NAYヨガスク−ルの貸し出し図書の『ジェニ−』は、古沢安二郎訳の文庫です。 矢川澄子さんの訳は『さすらいのジェニ−』として出版されています。 ※※NAYヨガスク−ルの貸し出し図書の猫の話 ポ−ル・ギャリコ著・矢川澄子訳は『トマシ−ナ』です。 ※※※もう一冊、『リリ−』 という題で映画化された、 ポ−ル・ギャリコ著・矢川澄子訳の『七つの人形の恋物語』が、 NAYヨガスク−ルの貸し出し図書になっています。 ★ NAYヨガスク−ルの貸し出し図書は、 「内藤景代の本を全部、読んだ生徒さん」に、貸し出しています。 |
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