2002年10月5日(土)   
業平と言問通りとユリカモメ、そして笑いカワセミの関係…

見晴らしのよい、小高い丘の林の中に、
都鳥(みやこどり)」ともよばれるユリカモメ達と、
けたたましい「笑い声」を発する
笑いカワセミ3匹の小屋だけが2つ並んで、
多摩動物公園の中にポツンとありました。

笑いカワセミ(ワライカワセミ)
笑いカワセミ(ワライカワセミ)↑


元気に飛びまわり、笑っているように、
けたたましく鳴きあう、
3匹の「ワライカワセミ・トリオ」。

とても姦しい(かしましい)です。

1匹は、右端の後方。↑


オ−ストラリアを代表する「森の住人」として、
超・有名な鳥だそうです。


yahooで「ワライカワセミ」で検索すると、
タロンガ動物園」の紹介で、
笑いカワセミ
のけたたましい「笑い声」を聞くことができます。

…が、ネットでの鳴き声は、
1匹の「笑い声」なので、
上の写真の3匹の「ワライカワセミ・トリオ」が同時に鳴き、
また裏の小屋からも鳴き交わす、
5〜6匹の「笑い声」の交錯の騒々しさは、
想像を絶します。


なぜ、
珍しい「笑いカワセミ」と、
見慣れたユリカモメだけがポツンと離れた丘で、
対等に(?)並んだ小屋でくらしているのか? 

 不思議でした。

 3匹の30cmくらいの「笑いカワセミ」は、
後ろの小屋にいる2匹(? 見えたのは)と呼応して、
同時にけたたましい声で、
まさに笑います。


「笑う」という
「鳴き声」からの「見立て」は、
まさにピッタリです。

「人間の大きな笑い声」としか聞こえない、
鳴き声をだします。

ひょうきんな物怖じ(ものおじ)しない鳥です。

ユリカモメ 都鳥

――この「うるささ」では、
神経質な鳥はおかしくなってしまうから、
うるささでは負けないユリカモメ ↑
隣においたのかな〜などと話していて、
解説をよむと、ちがっていました。


ユリカモメ笑いカワセミは、
日本
オ−ストラリア結ぶ
「親善大使(しんぜんたいし)」の役目をして、
「交換」され、
贈りあった鳥だったのです。


この動物公園は、
都営(とえい)なので、
「都民(とみん)の鳥」であるユリカモメが、
オ−ストラリアを代表する「笑いカワセミ」と
並んだ小屋で、くらしているわけでした。


根岸を通り、
浅草から隅田川(すみだがわ)にいたる通りを
言問通り(ことといどおり)」とよぶのは、
伊勢物語(いせものがたり)』の
在原業平
(ありわらのなりひら)の、
都鳥(みやこどり)」
すなわちユリカモメをよんだ歌からきています。


 名にしおうば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人 有りやなしやと    業平


西(かんさい)の京の都(みやこ)から
(かんとう)へ下って(当時)きた、
美形で有名な京男(きょうおとこ)業平が、
隅田川の渡し
白い鳥で、くちばしと足が赤い、
   シギ(鴫)くらいの大きさの鳥
を見て、
渡し守(わたしもり)に聞くと
都鳥(みやこどり)」と答たので、
上記の歌をよんだ…といわれています。


今でも、隅田川に飛んでいる
都鳥ユリカモメにちなみ、
浜松町(はままつちょう)からお台場などへ行く、
「無人のモノレ−ル」の名前もユリカモメです。

多摩動物公園 入り口









多摩丘陵(たまきゅうりょう)の、
緑の豊かな起伏(きふく)のある地形をいかした、
多摩動物公園に、夏日(なつび)にもどった、
暑いきのう、行ってきました。

 ↑●多摩動物公園 入り口の石の

以前、レッサ−パンダを見に行ったときは、
電車で行きましたが、
今回は、立川(たちかわ)から新しくできた
多摩モノレ−ル」にのり、動物公園の前まで直行しました。

 
最近、立川の南口は再開発されて、
ぬくもりのある戦後の臭いのある店が一掃されて、
胸が冷え冷え(ひえびえ)する
未来都市風景になっていました
…そう感じる町の人たちは多かったようです。

――なぜなら、きのう、立川駅をおりると、
無機的な交差する歩道橋の柵にそって、
たくさんの「ススキとコスモスの花」が、
秋空にそよいでいました。↓
 ある角度から見ると、一面の秋の野原のようでした……


モノレ−ルと中央線とススキとコスモス 立川駅


むかしながらのオレンジのJRの中央線と、
新しいモノレ−ル
そして、武蔵野(むさしの)の自然な秋の野の花
……それらが「三位一体(さんみいったい)」で、
新しい町の風情(ふぜい)をつくりだしていました。

を走る多摩モノレ−ルと、
を走る中央線、
中間
の歩道橋のとススキとコスモス 立川駅南口。↑


こころのなごむ風情をたもつために、
はさみをもった作業着すがたの男達が、
枯れた花をつみ、綺麗なイメ−ジをたもつように、
パトロ−ル(?)していました。


「ひとの手」をかけることで、
自然」がそこにあらわれてくる……
自然」だからといって、
何もせずに、ほっておいては、
無機的な都市になって、木も草もはえなくなってしまう

……そして、そこに生きるひと達のこころ(心)まで、
ひからびて無機的になってしまう……
 

青空の下で
風にそよぐたくさんのススキの穂を見て
……何か、これからの「発展する大都会」に欠かせない
大切なもの」や、
あってほしい「こころの方向性」を
見たような気がしました。


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