2002年10月15日(火)  海をこえて、年に一度の弁財天の「ご開帳」に出会う

秋の海の上を渡りたくなって、東京駅から高速バスにのり、東京湾を横断して、木更津へいってきました。偶然がかさなり、「秘仏(ひぶつ)」の美しい「弁天さま」を拝観する機会にも、めぐまれ、胸が暖かくなりました。

弁財天 木更津 弁財天 提灯













    弁財天 提灯

 ←木更津の弁財天のお祭りと行灯(あんどん)


秋の陽ざしをあびて、東京湾にかかる高速道路の巨大な、アクアラインを、高速バスで走り、海を渡りました。
 向こう岸(彼岸=ひがん! 9月23日9月25日のエッセイ)は、千葉(ちば)の木更津(きさらず)です。

木更津は、歌舞伎の『与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)』の、囲われ者(かこわれもの)のお富さん若旦那(わかだんな)の与三郎(よさぶろう)が、運命的な出会いをした海岸…という物語の舞台として、有名です。

ふたりは、「道ならぬ恋」におち、与三郎は、(ばつ)として、無数の刀傷(かたなきず)をうけ、簀巻き(すまき)にされて、海に捨てられ、死んだ……はずだった…
  数年後、江戸の町の玄冶店(げんやだな)で、「×」印の傷を顔から全身につけた「切られの与三郎」は、お富さんと再会する。
 黒板塀(くろいたべい)に見越し(みこし)の松の、お富さんの粋な家で。

はじめは、強請(ゆすり)として、あらわれ、次に、ふたりの因縁(いんねん)を語るのが、有名な歌舞伎の「玄冶店」の場面です。
 先代の団十郎が海老蔵(えびぞう)時代の当たり役で、「転落の若旦那」は、はまり役でした。かっこよかったです。子ども時代に、よく、まねをしました。

傷だらけの青春」そのものの「紅い×」印の「切られ与三郎」、と「運命の女」の「お富さん」…の物語は、『お富さん』という歌謡曲として、戦後すぐに大ヒットして、子どもごころに覚えています。
 あの頃は、戦争の「復員兵(ふくいんへい)」のひと達も多く、「死んだはず♪」の言葉が、くり返し歌われていました。
 身につまされるひと達も多かったのでしょう。

さて、今の木更津は、近代化された、港湾都市です。
 京葉(けいよう)工業都市が見える、海辺で遊び、夕焼けとともに歩いていると、古い町並みの中に、水に囲まれ、行灯(あんどん)をともした小さな「厳島神社(いつくしまじんじゃ)」があり、そこがご祭礼(さいれい)でした。

弁財天のマ−クの提灯  ←弁財天のマ−クの提灯(ちょうちん)

  きょうの10月15日は、秘仏(ひぶつ)の弁天さまの、「年に一度のご開帳(ごかいちょう)」で、お姿を拝めます…というので、拝観しました。
 
この弁天さまを見て、あの『与話情浮名横櫛』の『お富さん』のイメ−ジができたのではないか……? と想像するような、美しく豊満な女神で、8本の腕をもち、宝珠(ほうじゅ)や剣などの武器をもつ、多面的なお姿でした。

この弁財天のお写真もとらせて頂きましたが、秘仏なので、ネットでは公開できませんので、悪しからずご了承ください。
 8本の腕の弁財天のお像は、湘南の江ノ島(しょうなんのえのしま)や吉野の天河(よしののてんかわ)神社弁財天と、お顔やお姿が似ていて、この弁天像のつくられた時代も同じ頃のようにみうけました。

「大きな水」である、東京湾を渡り、年に一度の「水の女神・サラスバティの、神仏習合である弁財天」のご開帳に出会えた……のは、「意味のある偶然=共時性」を感じ、嬉しくなりました。


 ※→サラスバティ=弁財天のお姿は『聖なるチカラと形・ヤントラ』の109p 図13
 
 ※→サラスバティ=弁財天については、7月20日のエッセイを。

 ※→意味のある偶然=共時性(シンクロニシティ)は、
              『わたし探し・精神世界入門』 190〜192p 脚注



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