2002年10月30日(水) ●インドの梵語の「オ−ム」の「マントラ=真言」は、中国で「南無=おん」と音訳され、日本では、「南無=なむ」と唱えられています
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一昨日、寝たきりの母親を車椅子にのせたまま公園に「放置」した、39才無職の男性が逮捕されました(※)。『楢山節考』の「姥捨て」の現代版がはじまりつつあるのでしょうか。その一方、母の慈愛を感謝する心を形にする方もいます。ひとそれぞれです… (※)2002年10月28日朝日新聞 朝刊 ●かつて、柳田国男の『遠野物語』の遠野(とおの)に行ったとき、村のはずれに、「姥捨て(うばすて)」された老人達だけで寄りそって生きていく里(さと)のそばを通りました。 ●深沢七郎の『楢山節考(ならやまぶしこう)』のように、ひとりで山へ捨てられるよりも、仲間がいた方が生きやすいでしょうが…… ●老人を捨てる「棄老(きろう)」や赤ん坊を殺す「間引き(まびき)」は、「食べる」ことが大変だった貧しかった戦前の日本に、残っていた残酷な風習です。 ●コンビニの食品が賞味期限切れで大量に捨てられ、「食べる」ことは、なんとかできる…今の日本。でも、「むかしと同じ」ことが、くりかえされだしている… 「不況」だけが原因なのでしょうか? ●雑司ヶ谷の鬼子母神(きしぼじん)で思い出しましたが… 先日、あるお寺にたちより、「手作りリ−ス」用の松ぼっくりを拾っていましたら「慈愛」という銘(めい)がうめこまれた石像が、目の前にありました。 「観音(かんのん)像」だと思って、前にまわると、 実は、鬼子母神の像でした。 「慈愛」という銘のある、鬼子母神像の後ろ姿↑と、 ↓前面のお姿。 ●お墓に、鬼子母神像がある…というのは、 「不思議だなぁ〜」と思っていると、石像の下に、 「その由来(ゆらい)」を「縁起(えんぎ)」として石版にかいてありました。↓ ●鬼子母神の象徴(シンボル)の、ザクロの花と果実↓ ●下の「鬼子母神像略縁起」によると、 ご自分の母上がなくなって50年目の50回忌に、 母上の慈愛を感謝する心を形にして、 また子孫繁栄を願い、鬼子母神像を建立されたようです。 お名前はカットさせていただきました。↓ ●上の「鬼子母神像略縁起」の↑前半に、 「鬼=夜叉(やしゃ)」だった鬼子母神が、 なぜ、慈愛の女神になったのか… という仏教説話が、かいてあります。 (9月20日のエッセイ参照) ●仏教で「天」↓と神の下につくのは、インドの「ヒンズ−教=インド教」の神が仏教にとりいれられて「守護神」になったことをしめします。 例:「寅さん」ゆかりの柴又の「帝釈天」 ↑●梵語のオ−ムと日本語のオ−ム ↑●「南無鬼子母神天 (なむ きしぼじん てん)」と、 石にきざまれた真言。鬼子母神の「真言(しんごん)=マントラ」。 ●左が梵語(=インドの古語=サンスクリット語)の「鬼子母神」をあらわす、真言=マントラ。 右が、その梵語を、漢字=中国語で、「音訳=音写」と「意訳」したもの。 ●インドの梵語の「オ−ム」というマントラ=真言は、中国語の漢字で「南無=おん」と「音訳=音写」され、日本に伝わり、そのまま日本語で「南無=なむ」と発音されて、「祈り」の言葉として使われています。 (『ヨガと冥想』 15p「インド発、中国経由、日本着」) 例:南無 妙法蓮華経(なむ みょうほうれんげきょう)という「お題目」 例:南無 阿弥陀仏(なむ あみだぶつ)という「お念仏」 例:南無 八幡大菩薩(なむ はちまんだいぼさつ)という八幡神への祈り。 例:南無 釈迦牟尼仏(なむ しゃかむにぶつ)という「釈迦族の尊者の釈迦(しゃか)という仏陀=ブッダ=覚者=悟りを開いたひと」を、たたえる言葉。 ● なむ=南無=おん=オ−ム = =梵字の「オ−ム」。 梵字=サンスクリットのオ−ムという字↑ (上の黒い石版の梵語「おん」と形=書体がちがうが、同じ意味) ●インドの梵語の「オ−ム」の「マントラ=真言」は、中国で「南無=おん」と音訳され、日本では、「南無=なむ」と唱えられているわけです。 「インドから、中国を経由して、日本に伝来」という「インド発、中国経由、日本着」のプロセスが、「日本の仏教」の分かりにくさや複雑さの原因のひとつでしょう。 ※→インドの仏教とヨガの関係を図解したものは、『ヨガと冥想』 13p 図1 ※→梵語(サンスクリット語)については、『ヨガと冥想』 14p ※→なむ=南無=おん=オ−ムについては、『ヨガと冥想』 97p、 127p図17:チャクラ、 220p、221p、225p、226p、367p ※→真言=マントラについては、『ヨガと冥想』 94p、112p、114p、134p、225p ※→ヒンズ−教=インド教については、『ヨガと冥想』 15p「インド発、中国経由、日本着」 |
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