2002年11月3日(日)
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●先日、横浜の本牧(ほんもく)にある 「三渓園(さんけいえん)」に行ってきました。 大きな日本庭園で、 田舎の鄙(ひな)びた風景を 「そのまま、自然に」残したように、 手入れされています。 ●三渓園の庭園 ●今は、可憐な野菊があちこちで咲き、 野良猫たちも満ち足りたように、ひなたぼっこをして、 「かつて、日本のどこにもあった、のどかな風景」 を感じさせてくれました。 ●三渓園は、明治時代に、 横浜の生糸貿易で巨万の富をなした原 三渓の別荘です。 自然を生かした渓谷や池、丘、などの中に、 四季の花が咲くように配置され、 茅葺き屋根の農家や合掌造りの農家などが移築されて、 田舎へきたような錯覚になります。 ●丘を登る道の、竹のア−チ ↑ ←合掌造りの家 ●むかしから日本の「わび・さび」の文化は、 贅沢(ぜいたく)の華美(かび)の極をきわめてから、 味がわかるようです。 ●原 三渓も、贅沢三昧(ぜいたくざんまい)ができるようになると、 ある極致から「対極」の 「鄙びた、わび(しさ)や、さび(しさ)」を好むようになったようです… (原 三渓の自宅は知りませんし、くわしいことはわかりませんが…) ●陽(贅沢の華美)が極まると、 陰(鄙びた、わび・さび)の良さが見えてくる… 陽 極まって 陰 生ず ↑上の図は、太極図(たいきょくず)で、 陰(青)が上、陽(紅)が下です。 「対極」を大きな円で、 ひとつ上の次元で統合したマンダラ図形が、 太極図です。 太極図は、陰陽が回転している、 「変化」をあらわす図形…ともいえます。 ※→太極図については、9月18日のエッセイを。こちらへ ※→図36「太極図のヤントラ冥想と、意識と無意識の関係」は、 『聖なるチカラと形・ヤントラ』277p 「変化と相補性――太極図」 ●日本には「成金趣味(なりきんしゅみ)」といって、 お金持ちに急になると、 金ぴかのベルサイユ宮殿風の家に住みたがる傾向があるようですが、 それは「卒業」した…のかもしれません。 ●そういえば、都会生活に疲れたひと達に、 「ナチュラル志向」とか 「田園回帰」の現象が流行しています。 エコロジ−とも結びついているようですが…… ある意味で、 原 三渓が三渓園を「癒しの場所」にしていたのと、 つながる「気脈」があるように感じます。 ●三渓園の中の小高い丘の頂上まで、 山奥の山道のような舗装されていない 「自然道」を登ると、木立(こだち)の向こうに 海が開けていました。 …しかし、 木々と海のあいだには ……煙をはく近代的なコンビナ−トがたくさんそびえていました…… ●三渓園の外の工場群。 その向こうに広がる、海。 ●…横浜の都会から、 田舎のまん中にいるような気分になり、 丘の頂上へたどりつくと ……むきだしの工場群 ……その向こうにかすかに光る海…… ……予期せぬシ−ンで、妙な気になりました…………。 ●感じたのは、ここ三渓園は、 かつても今も、 むき出しの経済活動につながる工業や商業から離れて、 しずかに「引きこもる」幻想空間であり、 「癒しの場所」だった…ということです。 それは、明治のむかしの原 三渓の 「こころが必要とする場所」であっただけでなく、 今の現代人のこころもまた、必要とする場所 …のひとつなのかもしれません。 ●横浜にくる外国人にとっては ――三渓園は、観光ル−トに入っている―― 「日本のこころ」を感じる場所のようです。 もしかして、「日本の、失われつつある、こころ」だったりして…… 「こんな田舎くさい光景は、つまんない…」 という声も聞きましたので…… 「日本のこころ」は、 どちらの方向へいくのでしょうか? ●野菊の花などの写真は、また明日。 ★NAYヨガスク−ルの生徒さんのペ−ジ「猫の集会」の11月号ができたのですが、事情により「サ−バ−転送」ができませんでした。 このペ−ジも同様で、アップが遅れました。 singo さんの演奏だけは、「別のサ−バ−」なので、 いまだに「サ−バ−転送」がでず「制作中」にしましたが、「猫の集会」の11月号をアップしました。ご覧ください。 |
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