2002年11月15日(金) 「七五三」は、「」の数の節目に、子どもの成長を

きょうは、「七五三」ですが、数件、まわったところ、神社の人出はあまりないようです。
先週の日曜日などは、ビデオやデジカメ片手の家族連れで、花園神社など、とてもにぎわっていましたが…。

七五三の幟
 「七五三」の、神社の幟(のぼり) →

先月あたりから、休日になると、着飾った子ども連れの家族達が、あちこちの神社に詣でていました。

お父さんの仕事の都合などで、一緒に、神社へ「お宮参り」できる日…が優先順位なのでしょう。

11月15日に、全国でいっせいに「七五三」を祝うので、ゾロゾロと神社に集まってきた…というのは、戦後のいつ頃までなのでしょうか?

11月15日というを「特別な日」として、幼稚園や学校を休んだり、親が会社を休んだり遅刻してまで祝う風習では、なくなってきているのかもしれません。
 

さて、「七五三(しちごさん)」というのは、「数」に「意味」を感じる、発想からきています。9月9日にもかいたように、中国の「陰陽の哲学」では、「1、3、5、7、9の、奇数は、陽の数」で「メデタイ数」とされています。
 その「中」の「3、5、7」の年を、子供の成長の節目として、「七五三」として、お祝いするように、江戸時代の武家社会で、なったようです。

七五三の千歳飴
むかしは、幼児の死亡率も高く、「7才までは、神のうち」ともいわれました。
 「7才まで」は、「もといた、あちらの世界=神の世界」へ還ってしまう可能性が高いので、節目の「3歳、5歳、7歳」にお祝いし、「氏神様(うじがみさま)」へお宮参りをしたといわれます。七五三と千歳飴

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そして、無事に生きて成長するのを家族や親戚で、お赤飯を炊いて祝い、「千歳飴(ちとせあめ)」を、お祝いに配る風習があったようです。
 千歳飴は、袋に入った、白くて長い飴です。

別の角度からいうと、「七五三」は、子ども達が社会へ参入する儀式でもあり、「イニシエイション」のひとつ、ともいえます。
 「1歳」の誕生の次の、人生の「通過儀礼」のはじめともいえます。
 いつまでも「甘えん坊の赤ちゃんでは、ない…」と、子ども達に「自覚させる、儀式」ともいえるかもしれません。

 ※→イニシエイションについては、
  『わたし探し・精神世界入門』 181p 「現代に生きる〈イニシエイションの秘儀〉」           『BIG ME』 205p 「通過儀礼――イニシエイション

とはいえ、見た限りでは、「小子化」の影響か、両親の祖父母とか、とろけるように甘い保護者たちに大事にされた、王子様や王女様達の晴れ姿のファッションショ−のようでした…
 男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳(むかしは、数え年、今は満年令が多い)になった時、というかわいい盛りでしょうし…
 幼児・幼女少年・少女として社会に迎えられていく「社会への加入」という厳しいイニシエイションの儀式の側面がなくなりつつあるのは、いかがなものでしょうか…?



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