2003年9月3日(水) ●水晶の両目が光る、雷神と風神は、風雷神門の左右を守る。 聖天院、秩父の高麗(こま)の里。 ★超越的なチカラを、上(かみ)にあるものやチカラ、神(かみ)として「擬人化」する「神話的な思考法」は、「感情のカタルシス」になる。(→「野生の思考」の例 ●アリストテレスの『詩学』の概念、カタルシスは、「感情の浄化や排泄」。 ●自動車の「お祓い所」。 ★「意味のある偶然」、坂口 安吾と高麗 |
★カミ(神) 超越的なチカラを上(かみ)にあるものやチカラ、神(かみ)として「擬人化(ぎじんか)」したりする「神話的な思考法」 雷神 風神 ★感情は原始的なエネルギ− 「呪術的」に感情を発散できる 「目に見える形」であらわし、それと「つきあう」ことで、感情を昇華(しょうか)する ★「カタルシス」は、古代ギリシャのプラトンの弟子、アリストテレスの『詩学』での概念です。「感情の浄化や排泄」という意味 聖天院 秩父の高麗(こま)の里 現代の象徴(シンボル)のひとつ、自動車を、神社でお祓い 坂口 安吾 |
きょうは、上弦。 小潮(こしお)。 先月の上弦は、8月5日。先先月の上弦は、七夕、7月7日。その前月の上弦は、6月8日。そのまた前の上弦は、5月9日。 ご自分の「ココロとカラダと気分のリズム」を ちょっと意識してみましょう。 「なんとなく……の、波」は、どうでした? ハイ(高揚感)? バッド(落ち込み)? 「なぜか・・・、きょうを境に、ヤル気が、なんとなく、 わいてくるような気が・・・・?」 ●昼間は、残暑というか猛暑でしたが、 夕方、激しい稲光(いなびかり)の雷雨。 落雷(らくらい)で、 ラッシュ時の電車がとまっているそうです。大変ですね。 都内でも、停電になった地域があるそうです。 雷が暴れている…… ● 雷 (かみなり)の音をきいて、明るくなる窓をみていると、 雷神(らいじん)の背負った小太鼓(こだいこ)は、 よくイメ−ジをあらわしている……とおもいました。 きのう、秩父の高麗(こま)にある 聖天院(しょうてんいん)にでかけ、 そこを守る風雷神門の雷神を見たからです。 水晶をはめてあるのでしょうか、 両目にチカラがあり、光っていました。 「意味のある偶然」で、 今、また、雷がなりました。 「ウム」というように、ゴロゴロと。 ●・・・それで、きょうは別のことをかく予定でしたが、 急遽(きゅうきょ)、あの迫力ある、 むかしの赤鬼(あかおに)のような雷神の写真をお見せしましょう。 ●きょう、落雷でひどい目にあったかたも、 「こいつが、やったのか!」と、 「呪術的」に感情を発散できるように…… 科学的には、「空中の電気の放電現象」と、 理屈ではわかっていても、 感情は原始的なエネルギ−につながり、おさまらないものです。 それで、超越的なチカラを、上(かみ)にあるものやチカラ、 神(かみ)として「擬人化(ぎじんか)」したりする 「神話的な思考法」は、 わたしたち・人間にとって、長いあいだ「生きる知恵」だったようです。 (→「野生の思考」の例 ●雷神、風神(ふうじん)など、 こういう「目に見える形」であらわし、 それと「つきあう」ことで、感情を昇華(しょうか)するのは、 お芝居などと同じで、「カタルシス」を感じ、 すっきりすることもあります。 「カタルシス」は、 古代ギリシャのプラトンの弟子、 アリストテレスの『詩学』での概念です。 「感情の浄化や排泄」という意味です。 ●雷神↑ 風雷神門 聖天院 秩父 高麗 ●雷神は、 聖天院の本堂に向かって「左」の 風雷神門の格子の中で、こちらをにらんでいます。 むかし、こういうタイプは日本にたくさんいたな〜 というたくましい筋肉マンです。 ↑●風雷神門 聖天院 秩父 高麗 ●風雷神門の真ん中の上から、 「風雷神門」と江戸文字でかいた 赤い提灯(ちょうちん)がかかっています。 浅草の浅草寺(せんそうじ)、雷門(かみなりもん) を思い出しました。 ●向かって「右」には、 風神(ふうじん)が風袋(ふうたい)をかついで にらんでいます。 贅肉のない、筋肉のみで、赤毛が逆立っています。↓ ●風神↓ 風雷神門 聖天院 秩父 高麗 ●超・現代的な建物や乗り物が、 雷が落ちることで、停電し、 「超・不便」になる……という現実。 やはり、「ひとを超えたチカラ」への 畏怖(いふ)があるのでしょうか、 東京を離れると、 「自動車のお祓い(はらい)所」をもつ、 神社をよくみかけます。 高麗神社にも、自動車のお祓い所が、 2ヶ所ありました。 ●現代の象徴(シンボル)のひとつ、 自動車を、神社でお祓いしてもらう ……という、わたしたち・日本人の「こころの傾向」というか、 「宗教性」は、おもしろいな〜と思います。 「お祓い済み」のお札代わりの、 「交通事故よけのステッカ−」をはって走っている車は、 たくさんみかけます。 縁起(えんぎ)をかつぐお守りなのでしょう。 ↑●自動車のお祓い所↓ 高麗神社 ●高麗神社には、 坂口 安吾(あんご)がかつて訪れ、 彼のエッセイにもかいています。 去年の9月27日の、 100万本!のマンジュシャゲ(曼珠沙華) 、 ヒガンバナ(彼岸花)の写真とともに、 坂口 安吾に誘われて、 高麗へ出かけた話をしました。こちらへ。 ※→坂口 安吾と太宰 治、「不良少年とキリスト」のことは: 『冥想 こころを旅する本 マインド・トリップ』 p123 「エゴ <不良少年>を飼い慣らす」) ※→偶然については: 「意味のある偶然=共時性→ 『わたし探し・精神世界入門』p190 脚注 ★「意味のある偶然=共時性(シンクロニシティ)」とは: 「無関係な[物と心]が、偶然、共振(シンクロ)し響きあう出来事」。 心理学者のC・Gユングの概念です。 |
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