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2004年2月23日(月)●「精神世界の疑問と答」を更新し、『聖なるチカラと形・ヤントラ』の「全目次」を追加 ●川越大師の喜多院にある、「五百羅漢」には、必ず、「自分の知っているひとが、その中にいる」という、なぜ? ●仏教の「修行者」は、インドでアラハト、中国で阿羅漢と音訳、日本では羅漢と略す ●「インド発中国経由日本着」の言葉のいつものパタ−ン ●鞍馬天狗は、あらかん。 |
●なぜ、哲学・形而上学は、ニヒリズムを生むのか? ●なぜ、電脳人間は、自分を〃神〃と夢想できるのか? ●なぜ、観念論者はヴァーチャルリアリティ(仮想現実)に生きるのか? ●「聖なるチカラと形・ヤントラ」内藤景代・著 目次より 「精神世界の疑問と答」 http://www.bigme.jp/16-q&a/index.htm |
昨夜は、集中レッスン後に新宿から帰宅するとき、突風が吹き、小雨もまじり、まるで春の嵐。 帰り道に、見知らぬものが、いろいろところがっていました。 きょうの昼間も、強風が吹きましたので、今夜の夜空は、綺麗です。 西空に、くっきりと三日月。 その上に金星が輝いています。 1等星の100倍の明るさでまたたく、ヴィ−ナス(金星)。 ●今、新聞では、瞑想(冥想)や仏教、密教、 神秘主義、神とは? 仏陀(ブッダ)とは? 悟りとは? 解脱(げだつ)とは? というテ−マがよくのっています。 それで、 それらの問いに答えている、内藤景代の本を紹介した、 「精神世界の疑問と答」のペ−ジに、 きょう新しく、『聖なるチカラと形・ヤントラ』(1998年刊)の「全目次」を追加しました。 http://www.bigme.jp/16-q&a/index.htm 「なぜ?」という疑問に答える形式の目次ですから 2月27日を前にして、「精神世界への疑問」を感じるかたには、お役にたつでしょう。 ●たとえば、こんな疑問への答もあります。
(『聖なるチカラと形・ヤントラ』目次より) http://yantra-book.nay.jp/ ●なぜ、哲学・形而上学は、ニヒリズムを生むのか? 156ページ ●なぜ、電脳人間は、自分を〃神〃と夢想できるのか? 157ページ
●なぜ、観念論者はヴァーチャル・リアリティ(仮想現実)に生きるのか? 159ページ
内藤景代の本でわかる「精神世界の疑問と答」のチャ−トと、『聖なるチカラと形・ヤントラ』(1998年刊)の「全目次」は ![]() ![]() http://www.bigme.jp/16-q&a/index.htm ●さて、川越の喜多院は、 「出家」した仏教の「修行僧」である、 「羅漢(らかん)」の像が、 たくさんあるので有名です。 「五百羅漢(ごひゃくらかん)」の石像群です。 「羅漢」は、 インドの古語である梵語(サンスクリット)の 「アラハト」の音訳である 「阿羅漢(あらかん)」の、 上の部分をとった略語です。 インド: アラハト = 中国 :阿羅漢(あらかん) = 日本 :羅漢(らかん) ●『ヨガと冥想』にかいたように 「インド発 中国経由 日本着」の 仏教の「いつものパタ−ン」です。 その件については、 去年のお盆の7月15日に、 以下のようにエッセイにかきました。 ![]() 【2003年7月15日(火) ●野に咲く小さなラン(蘭)、ねじり花(ネジバナ)のらせん構造。●お盆(ぼん)は、インド(天竺)の「ウランバナ」の「当て字」の「盂蘭盆(うらぼん)」の最後の一字 ●「軍荼利」がヨガの「クンダリ−ニ」の当て字であり、ほとけ≒仏=仏陀がブッダの当て字であるように●「インド発中国経由日本着」の言葉の「ねじれ現象」●「ヨガの歴史と哲学」と「仏教の悟りの変遷史」と「わたし達の意識の進化の物語」は、呼応している、それをかいた『ヨガと冥想』」 ●「あらかん」とよばれた 鞍馬天狗(くらまてんぐ)で有名なチャンバラ・スタ−がいました。 嵐 寛十郎(あらしかんじゅうろう)を縮めて、 あらかん。 たぶん、「阿羅漢(あらかん)」にひっかけてある、 教養あるニックネ−ムではなかったか? と、今は、愚考いたします。 『鞍馬天狗』は、仏文学で有名な 大仏(おさらぎ)次郎の原作ですし。 子ども時代は、そんなことは知らず、 手ぬぐいで鞍馬天狗の覆面(ふくめん)のマネをしたりして・・・ ●「五百羅漢」は、 ブッダ(仏陀=覚者)である、シャカ(釈迦)が お亡くなりになったときに集まった「五百人の阿羅漢」 という伝説からきています。 全国にあります。 禅宗(ぜんしゅう)の曹洞宗(そうとうしゅう)では、 「十六羅漢や五百羅漢を すぐれた修行者として供養し讃歎する法会」を、 「羅漢講」や「羅漢会」として、重んじているそうです。 ●さて、川越大師の「五百羅漢」は、 長い年月でつくり続けられて、 修行者のパタ−ンがほぼすべてそこにある、 ともいわれています。 本好き、 花好き、 酒好き、 鳥好き、 子ども好き、 おしゃべり好き、 ひとりが好き、 修行好き、 太め、 細め、 いろいろ・・・。 それぞれの好みの羅漢さんに お賽銭をあげていく 参拝者のしきたりのようです。 ![]() ●胸を割る羅漢 ●胸を切り開いて、 まん中から割る 羅漢さんがいました。 「胸襟(きょうきん)を開く」を実践していた 修行者=阿羅漢だったのでしょうか。 1円玉のお賽銭(さいせん)がいくつものっていました。 インドの神話にも、 胸を切り開いて、 「心の誠(まこと)」をみせる サル(猿)の王の有名な絵があります。 ●どこの「五百羅漢」にも、 「必ず、自分の知っているひとが、その中にいる」、 ともいわれます。 もし、いなかったら? それは、下の写真のように、 顔をかくしているひとが 「そのひとだ」とか。 ・・・うまくできているお話ですね。 ![]() ●顔をかくしている修行者 五百羅漢 |