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2002年10月12日(土) 秋の終わり、ジャノメチョウオオヒカゲ(蛇の目蝶)と、しま(縞)模様のガ(蛾)の最後の姿。芭蕉忌。ホトトギス(子規)の血の跡に見立てられた花、ホトトギス。 |
きょうは、芭蕉忌(ばしょうき)。 明日は、NAYヨガスク−ルの、月1回 第2日曜日 午後 1:00からの内藤景代の総合クラスです。 「目玉もよう」の蝶(ちょう)が、秋のやわらかな太陽の光の中で、まどろんでいました。↓ ![]() ●秋の陽だまりで、まどろんでいる、蛇の目蝶 (ジャノメチョウオオヒカゲ)↑ ●今の時季は、夏の間、元気だった蝶や蛾(ガ)などが、静かに秋の陽ざしをあびながら、まどろむように、とまっている場面に、よく出会います。 羽根は、ボロボロになって、ジ−っとしています。 そのまま、おだやかな眠るような最期(さいご)をむかえてほしいな……と、見守ってしまいます。 ●きのう、見たしま模様の蛾は、力つきたのか、アスファルトの道の真ん中で、↓じっとしていました。 ![]() しゃがんで、すぐそばで写真をとっても、動きません。ストロボ光線に切りかえて、正面から見つめあうように撮影しても、逃げませんでした。 撮影後は、このままでは、自転車や自動車に、ひき殺されてしまう…といけないので、そっとティッシュペ−パ−で、つつみ、そばの植木ちかくの石の上に、置きました。すると、はじめて、手足を動かし、また、羽根を下にして、じっとしていました…… ●秋は、枯れ葉が落ち、虫の死など、「死」とむかいあうことの多い時季です。 俳句の松尾芭蕉が亡くなったのは、1694年の、こういう時季の、きょうでした。 食中毒で大阪の旅籠(はたご)でなくなったときの、辞世(じせい)の句は… 旅に病んで 夢は 枯れ野を かけめぐる 芭蕉 ●「芭蕉翁(おう)」という呼び方をしたりするので、もっと高齢だと思っていましたが、食中毒が原因で、「51才」で亡くなりました。 「人生50年」といわれた時代ですから、当時としては、「翁(おきな =老人)」なのかもしれません。 ![]() ●ホトトギスの花→ ●今の時季は、ホトトギスの花が咲いています。 斑点(はんてん)模様が、「血を吐いて鳴く」といわれる鳥のホトトギスの血の跡…と「見立て」られている花です。 ●「ホトトギス=子規」は、芭蕉の俳句を明治時代に刷新した、正岡子規の俳号です。 9月19日の「へちま忌」の話で、鳥のホトトギスとヘチマと根岸と子規の話をしました。 ●「俳聖(はいせい)」や天才と同列にしては、申し訳ないかもしれませんが、芭蕉翁も若くして死んだ正岡子規も、短い命の蝶や蛾も、それぞれの「命の時間」を燃焼していったのだろう…と思います。 秋は、「死」を思い、憂鬱(ゆううつ メランコリ−)になる時季ですが、それは、この星・地球に生きる、生きもの(being alive)として、「自然な感情」でしょう。 ……ただし、「死の面」だけにとらわれては、落ちこんだままです。 ![]() ただの「死んだ葉」の「枯れ葉」を「紅葉や黄葉」とよび、「錦秋(きんしゅう)」と名づけて、「行楽(こうらく)」に変えてしまう、わたし達・「日本人の、生活の知恵」… ●――それは、「わびしさ」や「さびしさ」を知ったうえでの、「風流」を愛でるこころ……なのかもしれません。 「死」をみすえて、そこにとどまらないことが、「ものの、あわれ」や「わび・さび」の日本文化のこころの中心に、ふれる「感性(センス)」を、はぐくむ機会(チャンス)になるのではないでしょうか。 秋は、微妙で繊細な感受性が、感じられる季節なので、「芸術の秋」ともいわれるのでしょう。 |
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