BIG ME club | 内藤景代が毎日更新する 日誌風エッセイ 最新情報 |
内藤景代 記 |
2002年8月4日(日) ●山寺(立石寺)のセミの声は、ステレオ装置で、スゴイ騒音。 ●なぜ、松尾芭蕉は「閑かさや 岩にしみ入る 蝉(せみ)の声」とよんだのか。 ●蝉時雨(せみしぐれ)。 ●巨石をくりぬいた修行の場、立石寺の岩場を、夏にのぼると、 実感する「響き」。 ●巨石のパワ−は、紫式部の「源氏物語」伝説の石山寺にも感じる |
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★ ↓ 閑かさ(しずかさ)や 岩にしみ入る 蝉(せみ)の声 芭蕉 ↑山寺(立石寺)の石碑 ●芭蕉(ばしょう)の『奥の細道』にある、 この俳句は、山寺(やまでら)でつくられたといわれます。 ●ある暑い夏に、通称は山寺とよばれる、 山形の立石寺(りっしゃくじ)へ行ったことがあります。 ●立石寺は、まさに、言葉どおり ――巨大な石が立っている寺でした。 というよりは、 巨大な石が立っている場所を選び、 その上に寺をたてたのでしょう… ●――京都ちかくの 石山寺(いしやまでら)がそうであるように。 紫式部(むらさきしきぶ)は、 石山寺にこもって、源氏物語をかいたといわれますが、 石山寺にこもるパワ−を感じていたのでしょうか。 石山寺も、名のとおり、 巨大な石の上にたてられた寺でした。 ●巨石の中にこめられチカラ、共振する振動(バイブレ−ション)を、むかしのひとは、感じていたのでしょうか? ●立石寺の境内の急な山道を登った頂上にある、↓立石寺の高楼 ●さて、「閑かさ(しずかさ)や…」というので、 言葉どおりに受けとり、 ずいぶん静かな山のお寺なのだろう …とわたしは、想像していました。 また、「岩にしみ入る…」のは、 渓流の岩に響きが吸い込まれていくような感じで、 静かで涼しい閑静な山寺なのだろう …と長い間、思っていました。 ●行ってみて、俳句からの想像はすべて、ハズレでした。 静かではなく……あんなうるさいお寺はありません。 渓流などなく ………赤茶けた、岩場(いわば)だらけの石ころ道を登る、 修行の場でした(観光用の写真をとる頂上あたりは整備された道でした)。 ●火山岩(かざんがん)などででできた岩場の上にお寺があります。 そして、軽石(かるいし)のような 高くそびえる岩盤をくりぬいて、つくった、 座禅のための小さな洞穴(ほらあな)がたくさんあります。↓ ★↓真ん中から左の岩場にくりぬいてある洞穴が、 座禅の修行の場。 ●↑その洞穴の、 冥想のスペ−ス中に座り、面壁(めんぺき)して、 山道のこちら(カメラ側)に背中を向け、 ダルマ大師(7月8日のエッセイに 少林寺で修行したダルマ大師のことをかきました。 『ヨガと冥想』 130nの脚注)のように、 悟りを開こうとした僧たちがたくさんいたのでしょう。 今は、風化(ふうか)して立ち入り禁止ですが、 以前は、そこで修行できたようです。 ●さて、そういうア−チ型(∩)にくりぬいた洞穴がたくさんあり 、それが立体音響の大ステレオ装置となって、 「蝉の声」が「蝉時雨(せみしぐれ)」のように、 反響し、ワ−ン、ワ−ンと共鳴し共振するわけです。 これが、「岩にしみ入る…」ということか‥! うるさい!! ●どこが、「閑かさ(しずかさ)や…」だ! ――と、汗だくだくで、 急な岩場の山道を登りながら、 参詣者はみんなヘンな顔をしていました。 ――そして……苦労して登った頂上からは、 広々と東北の緑の景色や光る川、 かすむ山が見えて、 「蝉の声」も下になり、一気に気持ちが広がりました。 涼しい風も吹きわたっていきます。 ●そして、感じました。 時雨(しぐれ)のような「蝉の声」しか聞こえない …ということが、 逆に、「閑かさ」の証明なのかもしれない……と。 現代でも、自動車の騒音などの様々な 生活の音は聞こえません。 「蝉の声」だけが、 BGM(背景音)として、聞こえてくる …ということは、 それだけ、閑かな場所なのだ…… 芭蕉は、そういうことを表現したかったのかな〜と、 数百年をへだてて、同じ場所で、感じたことを思い出しました。 ――この東京で「蝉の声」を聞きながら… |
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