2002年10月17日(木)      「水」は低きに流れるが、「萩の花」はどうするか?

萩の花が咲くころの満月の夜に、証誠寺の庭でタヌキ達が踊っていたという伝説が、童謡の『タヌキ囃子(ばやし)』になったそうです。その証誠寺萩の花は、竹の支柱を4隅(すみ)に立て、そこからたわわに枝垂れていました。

ハギ 証誠寺の萩の花





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証誠寺の
紅い萩の花












10月13日に<萩の花の「生(せい)の実験」>として、「矯正ギブス」的に、円錐形に支柱を立てた、禅寺の萩の花の写真をのせました。
 萩は、男性的にすっくと立って欲しい…という「ひとのこころ」や「願い」を感じる「象徴的な形」でした。

木更津の証誠寺(しょうじょうじ)は、浄土真宗(じょうどしんしゅう)のお寺です。
親鸞(しんらん)のめざした、「易行(いぎょう)=易しい行=やさしい道」の仏教です。

 ※→浄土真宗は、『ヨガと冥想』 94p

易行は、難行(なんぎょう)に対する言葉で、「やさしい、おこないやすい修行」という意味です。「易行道(いぎょうどう)」ともいいます。
 <「大衆(だいじゅ)」という「勢の生(しゅじょう)」が救われる、しい(やさしい)方法=修行法=道>ともいえます。
証誠寺の石仏

 
証誠寺の庭の、石仏


  ※→
日本の仏教の思想の変化」は、『ヨガと冥想』 95p
                図8「日本の仏教の歴史
            
 禅の厳しさを難行の男坂(おとこざか)」とすれば、女性的な足弱(あしよわ)にものぼれる易行の女坂(おんなざか)」の道です。
わたしの、実家の父方は、浄土真宗で、母方は、禅宗です。
  
 ※→男坂、女坂は; 9月3日「大山阿夫利神社の祭礼」のエッセイを。

秋の花」といえば「秋の七草(ななくさ)」がありますが、「お彼岸のおはぎ」の話にかいたように、萩の花が代表のひとつです。
 その萩の花は、枝が細く、下へ流れてしまうで、枝垂れる風情を残しつつ、地面をはわないようにはどうしたらいいか?
 
あの禅寺だけでなく、むかしから、萩の花には、いろいろと工夫(くふう)がされているようでした。

 
ふたつのお寺の、萩の花への「対応法」を見ていると…
    萩の花は、《わたし達「大衆」のこころの傾向性》の「メタファ−(暗喩)」や「見立て」そして、「象徴=シンボル」のようにも見えてきました。
 
萩の花は、ただの秋の花のひとつ、であるけれど、それだけでは、ない…

 水は 低きに流れる

という言葉が、あります。
 ほっておけば、「ひとのこころ」は、《わたし達「大衆」のこころの傾向性》として「自然に」みんな、「女性的」に、下へ流れてしまう。

 その方向性を知ったうえで、「ひとの こころざし=志」や「意志」を、どう「下から上へ」噴水のように噴き上げ、流すのか?
 あの井の頭公園の弁天堂のそばの噴水のように…
 
証誠寺は、竹の支柱を4隅(すみ)に立て、そこから、たわわに、萩の花を、↓のように流す工夫をしていました。萩の花 四角い支柱
 萩の花におおわれて「自然」に見えますが、きちんと支柱が、四角く囲っていました。
 萩の花だけで、「自然」にほっておかれたら、こうはいかないでしょう。

《「目に見えない、こころとからだを結ぶひとの中心軸」》を、
「花とひとの関わり方」を見て、象徴的に感じました。
 


竹の支柱のような「一本、通った筋(すじ)」が、今、わたし達・日本人から失われ、それが「モラルの失墜」などと結びついているように思います。
 
 水は 低きに流れる
ので・・・ もっと下へ流れていくのでしょうか?


 ※→体内の中心軸は:『わたし探し・精神世界入門』 327p 図
                 『BIG ME』 173p 175p 177p 
                 『ヨガと冥想』 210p
             ビデオ『ヨガと冥想』

「ショジョジ」のかわいいタヌキの写真は、また明日。



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